デリダ自身による脱構築入門ということで、私には珍しく新本を現金で買った。内容は、後期デリダの思想がコンパクトにまとめられているが、やはり前提としてある程度デリダの用語を知っていないとむずかしいかもしれない。 しかし、「喪」や「赦し」の概念は、一見消極的に見えて、じつは壮大な新しい社会に向けての提言である。特に母語を含めた文化を「相続」している私たちは、過去の歴史の肯定的な部分だけでなく、否定的な部分も相続しているのだ(聞いているか、小林よしのり!)。そして、そこで必要なのは「赦し」の不可能性と不可能であるが故の可能性である。アメリカによる国家テロや、イラク人等によるテロは赦すことができないし、日本人として「長崎、広島」が赦せないのと、「南京大虐殺」が赦されないのと同じように、相続してるが故に、赦されない赦しを求め、赦せないことを赦す可能性がなければ、憎しみは憎しみを生むだけである。 彼の表現はむずかしいが、自分の足下を常に「ずらし」続け、一定の立場に立つことを不可能にしながら、試作をする試練をあえて自分に与え続けた思想家の一定の成果を、私たちは人類の財産として不可能な未来に向けて「相続」する責任があるのだ。
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
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